瑛太のドッペルゲンガー

 

・世間の話題がコロナ一色になってから家にいる時間が増えたので最近アロマを楽しむようになった。スチームが出る広範囲向けのオーソドックスなタイプは掃除が大変そうなので手入れ不要なストーンタイプを使っている。これだと設置した場所周辺にしか香りが届かないらしいが、自室にいるときは大体ベッドが定位置なのでサイドテーブルに置くだけで全然大丈夫。それより手入れを怠って使用時に菌を撒く方が嫌だし…。

 

・多分ちゃんとした撒布タイプのほうが本当の意味でアロマを楽しめるのかもしれない。香り方も違うとか。でも掃除が億劫→菌が怖いので使わない→放置しすぎて中の状態を確認する勇気がない→そのまま封印の流れよりは絶対良いと思う。部屋に入った瞬間はわからないけどベッドに入るとふわ…くらいは香るので、毎晩微かに“いる”ことを確認して就寝する。さながら幽霊のよう…。

 

・アロマを嗜むと言いつつ匂いの種類に全然詳しくないので、オイルを買い足すときに毎回売り場でこれどんな匂いだっけ?と首を傾げている。柚子とかグレープフルーツは流石に想像できるけど、ゼラニウムとかサンダルウッドとかイランイランとかユーカリとか。

 

・だから毎度毎度テスターを端から嗅いでいちいち好き嫌いを判断している。これ好きな匂いだった気がする〜って雰囲気で買うと痛い目に遭うのでちゃんとその場で嗅いで確認するんだけど、長いこと強い香りに触れてると頭が痛くなるしそのうち香りもごっちゃになるのでだんだん選ぶのが苦痛になってくる。リラックスするために苦痛を感じながら金を出すって生活のバグじゃん……。

 

・そうしてようやく選んで買っても家に帰ると商品名を忘れるので、のちのち出先で「お店寄ってあの匂い買い足しとこ!」ができない。本当に脳が名前を覚えようとしてないんだと思う。

 

・無印の小瓶、香りによってオイルの出が全然違うのなんでですか?買った時期なのかシリーズによって違うのか、この間買ったやつはすごい勢いで出てくるからストーンの窪みからオイルが溢れるかと思った。トットット…を想像しながら小瓶を傾けたので急なドドドド!に脳が追いつかない。

 

・本日は無印良品ベルガモットを使っています。


・Steamに積みゲーがちょこちょこ増えてきた。セールのページで気が大きくなりカートに入れまくったものや、SNSでおすすめ情報を見かけてチェックしたものや、なんとなしにタグ検索して選んだ面白そうなものなど。

 

・全部が全くの手付かずかというとそういうわけでもなく、インストールはしていたり、物語の導入部分は見ていたり、操作方法の確認までは済ませていたり、チュートリアルまで終えていたり、進行状態はぼちぼちだ。
さあ今日は遊ぶぞ!と意気込んでもしばらくするとかなりの確率でもう今日はこれ以上入ってこないや…とパソコンを閉じるムーブに入る。

 

・わくわくでスタートさせたゲームをすぐ切り上げてしまうとき、新しいものを頭に入れる体力や集中力がなく処理能力が著しく低下している事実を痛感するな。遊びたい、と遊べる、は別なんだ。

面白そうなゲームを探すのが日課になっているのでログインは皆勤賞なんですけどね。


・「俺の家の話」が面白い。クドカン作品全然観たことなかったから他も観たくなった。いいな〜。登場人物みんな長所と短所があってそれぞれが自分の人生を一生懸命生きている。親の介護、家族との向き合い方、ハンディキャップを持った子との関わり方、夢と現実との葛藤、将来への漠然とした不安、金銭面の悩み。いつか何かしら直面するであろう現実問題を盛り込んでいるのに、シリアスなシーンにクスッとした笑いを持ってくるのでエンタメとして正しく消化される。

 

・説教くさくないのもいい。このお話をどう見るのかは自由だよって好きに受け取らせてくれる感じがある。社会問題を扱った作品で作り手の主張が強いものとか、たとえそれが正論だったとしても、疲れてるときに見ると気が滅入ることも多いので……。

 

・こういう言い方が正しいのかわからないけど、家族の繋がりって呪いでもあるよね、とこのドラマを観ていて思う。血の呪い。
アニメ「輪るピングドラム」でも同じ感想を持った。家族の罪を背負った加害者家族としての呪いの面と、家族の絆によって生き長らえることのできる救いの面のどちらも描いているのだけど、その救いの部分すらも呪いと解釈できてしまう。

 

・ピンドラはストーリー進行が少し変わっていて、2クールのうち前半は謎や伏線ばかりがひたすら投下される。次から次へと意味深なワードや表情やワンカットだけを鴨の餌のようにばら撒いて、こちらは意味が分からないままとにかく享受するしかない。
そして後半はばら撒かれた謎を回収する怒涛の答え合わせのターンに入る。あの発言、この発言、あの描写、この描写…。物語のパーツが散り散りになっているので1週目はとてもわかりにくいけど、これは2周目が本編なのかもしれない。


・観てない人にネタバレしてしまうのはあれだけど、1話にみんなの結末がそっと明記されていて、2週目に確認するとああここでもうみんなの結末は決まってるんだ…既にね…そうなんだ……と引きずってしまう。水族館で楽しそうにしてる主人公たちとの対比が辛い。
しんどいけど、ずっと大事にしておきたい作品だな。

 

・「俺の家の話」に話を戻す。6話にゲストとして出てきた阿部サダヲの演技がすごかった。あんな形で阿部サダヲが出てきたらもう視線なんてずっと彼に釘付けになるに決まっているのに、自分のキャラクターがメインの場面では存在感をたっぷり見せ、終盤の主人公を引き立てるシーンでは同じ画角に映ってるにもかかわらず全く主張なく主役陣に花を添える端役へ徹底している。

 

・存在を自在に消せるってこういうことなんだ。キャラクターの人物像や描写は一貫しているのに、シーンごとの濃度の差がすごい。予告を見たとき「今度は阿部サダヲゲスト回か〜」なんて思っていたけれど、全くそんなことなかった。印象に残ったけど、物話の本筋や主役陣を食うようなことがない絶妙な出演だった。(もちろん演出的な部分も多分にあると思うけど)

 

・過去同じようにドラマを観ていてすげ〜!と思ったのは永山瑛太の演技だ。最高の離婚まほろ駅前番外地が同時に放送されてたとき、最高の離婚で濱崎さんを、まほろ駅前で多田を演じてた瑛太がまるで別物だったのでびっくりしたのを覚えている。どう頑張っても同じ人が演じたように見えなくて、この2人が同じドラマの世界線にいて同じ画面に映ってて向き合って会話してても瑛太が二役演じてるなんてわからないとまで思った。

 

・もしかしたら濱崎さんと多田はあのあと1人の生きた人間として自我を持って瑛太の元を離れ、作品の元を離れ、今はこの世のどこかで瑛太ドッペルゲンガーとして暮らしているのかもしれない。目黒川の近くですれ違ってたりして。そろそろ桜の季節ですしね。